雨粒滴る君が為。


「――お前の罪ごと喰らってやろう」

 代々蛇と云うモノは、水の神だの災厄の予兆だの言われるものであるが、
私としてはそんな人間の戯言というのはひどくどうでもよろしい事であった。
そんなことを気にするくらいなら、明日どのようにしてアマガエルを捕まえようだの、
雛鳥を驚かそうだのを考える方がよっぽど時間の上手い使い方だと思う。私は人間ではないのだから。

 そう愚痴を零すと、なにやら隣でクツクツという音が聞こえた。
傘を持つ手を僅かにずらし、私は横を見る。
射干玉の髪が揺れ、覗いた顔は、空とは対極の晴れ晴れとした笑顔だった。

「お前、水神にしては妙な事を言うのねぇ」
「はて、どうかな。
 君も人間にしては随分おかしなものだと思うがね」

すると少女はえへんと咳払いをして、私の後ろ頭をぺちんと叩いた。

「こりゃぁ、失礼なことをした。」

 だが、人間の常識というのがわからぬのだから、仕方があるまいに。
 すると少女は、笑いながら私の持つ傘に手を添え

  「心配せずとも、これから私と居ればわかる事よ」

と少女は笑った。

 太陽を見たことの無い私は、その光が愛おしく、故に傘を落としてみた。

 世界は私と彼女しかいなくなった。


***

 土砂降りの夏。少女が泣いて私の元に来た。
私は俗世のことが分からぬ。だから少女の話の一片しか意味が分からなかった。
少女は文化の向上が気に喰わぬらしい。「ワカドノ」と云う物をひどく言及していた。

 君がしたいようにしたらいいさと言ってやると、少女は顔を上げて、嬉しそうに笑って見せた。
少女は巫女の末裔であった。だからその血を絶やさぬようにと、代々高貴な血を交えて生きてきたそうな。

 だから見えるのかいと問うと、少女はそうよと真顔で答えた。
それなら、何故「ワカドノ」を嫌うのかと聞いてみた。彼もまた、私が見えるハズの血筋である。
君と同じだろう?と問いかけると、少女は顔を曇らせる。

「貴方は私と居たくないの?」
「私は長く生きてしまうから、君が共には居られまい」

 すると少女はひどく傷ついた表情で、そうねと呟いた。
そして、傘を置いて立ち去った。傘が恨めがましく私を見ていた。

 私は知らなかったのだ。人の言の葉という魔術を。
 私が雨を降らせるように、人が降らせる言葉を、私は知らなかったのだ。

 数日後、娘は私が見えなくなった。「ワカドノ」が屋敷に来てから、
彼女は風が吹いた綿毛のように私の手からすり抜けた。

 本当は見えているのではないかと思い、彼女の好きだった金平糖を差し出した。
しかし、娘は目にもせず、私の横を通り過ぎた。

 村に降りてみても、この村にはもう誰も私を見る者がいなくなった。
 つまらない。なんとつまらない。

 気づけば、翌年から私は村に降りることなく、元いた沼にて独り、傘を回して遊んでいた。

 世界は私と傘しかいなくなった。


***


 嵐の晩。沼にたくさんの火の香りが漂っていた。
何事だろうと聞こえた人の声に私は目を覚ます。

「見つかったか?」
「否、あちらを探せ!」
「応ッ!」

誰か人探しだろうか。私はまぶしさにもう一度目を閉じた。
数時間後だろうか。私の耳に、鈴の音が聞こえた。

 だが、きっと夢だろう。あの子は私が見えないのだから。
すると、歌が聞こえてきた。
「♪一夜、月影雲隠れの世。 二又、猫は人隠れの身。三晩、散り行く桜歌」

 あれは、私が教えた数え歌だ。少し、そうだ、少しだけ見てみよう。
首を上げる。娘が見えた。

「水神様!ああ、ごめんなさい!水神様!お願い!」



それは、実に残酷な願いだった。

「私を、殺して」

***

娘は知ってしまった。
自分と結婚するのは、愛でもやむを得ない家の存続でも、なんでもない。
かの物が神の力を得たいがための強欲な理由だと。

あのヒトに手を出したら許さないと、言った。
すると、男はクスリと笑って片眉をあげる。

「あれはヒトではない、蛇だろうに」

さぁ、その勾玉をお寄越しなさい。
神の力を得るその依り代を渡せ。

その眼差しは、雨や雪よりなんと冷ややかなものか。
そんな男にあの力を、あのヒトを近づけてはいけない。

娘はだッと駆け出した。
履物など知らぬ。
痛みなど軽い。
これはあのヒトを無視してきた罰だ。

そして、いまからする身勝手な行動へのささやかな報いだ。

「お願い、私を。私を殺して。
 この人の世は、結んだ縁をおなごが切ることを赦しはしない。
 顔も知らぬ断罪人に殺されるくらいなら。ねぇ、私は」


貴方と一つになって、朽ちたい。


しばしの沈黙。 時を動かしたのは、松明の明かりがちらりと見えると同時に叫ばれた『居たぞ』『捕らえよ』という声。

「それが巫女の願いか」
「神の力を護るのも私の役割。だのに、自決もできない私を、赦して」
「私は」
「ごめんなさい。ごめんね、ごめん……」
「……」

あぁ、なんて。
なんて女はズルいのだろう。
流すまいとしてきた涙がこうも流れる。
本能的に赦しを乞うのか。
なんと汚い生き物なのだろう。
彼女は私が如何思っているのかも、知っているのに。


***


「……良し」

短い、返事だった。
否、それしか、もう私には返す言の葉を持っていなかった。

私には見える。

このままいれば、あの子はたちまち「ワカドノ」に捕まり、何か良くないことが起きる事も
守るべき里が荒れることも、よく解った。

だが、私は知ってしまった。
人の心を、移ろいゆく縁も、蜉蝣の命より短かき感情の渦も。

だからこそ、私は。


「お前の罪ごと喰らってやろう、小雨」

誰より愛したその巫女を一飲みして、沼へと沈んだ。





彼女が飲み込まれる前に呟いた
愛しているという言の葉ごと、飲み干して。


2015.10.20.
なんとなしに、ふとこの小説を思い出し、
去年つづった小説を書き直したり、足したりしまして
こちらをUPする次第になりました。

なつかしいですね。

今ではこの娘が、PBWで生きた存在として現れているのですから
もっと驚きです。


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